あわのわVol.9レポート

awanowa2010-09-23

あわのわコミュニティカフェ&マーケット vol.9

2010年9月23日木曜日、秋分の日で満月、
そして太陽と地球と木星土星天王星が並ぶ
というスペシャルな日、「あわのわコミュニティ
カフェ&マーケット」 vol.9は開催された。

今回のゲストは、腰まで伸びたドレッドヘアーに、
にこにこスマイルの吉田ケンゴさんとインドの
バウル・ミュージシャンのショッタノンド・ダス&
ホリ・ダシさん夫妻である。ケンゴさんは、
パーカッションプレーヤーでドームテント制作者
であり、ヘンププラスチックのパチカ(アフリカの
小さな打楽器)のプロデュースや廃材アクセサリー
制作、そして伝説の祭り「ひょううこま」や
平和イベント「Be?in」の主催者という
様々な顔を持つアーティストだ。
ショッタノンド夫妻は、インド・ベンガル地方
伝統音楽であるバウルの歌い手である。

バウルとは、ユネスコの「人類の口承および
無形遺産の傑作」に宣言された伝統音楽であり、
インド東部からバングラデシュにまたがる
ベンガル地方で生まれ、ヒンドゥ教、
イスラム教、仏教の影響を受けながらも、
どこにも属さず、物を持たず、町や村を転々と
旅をしながら、神秘的で深淵なバウルの
精神世界を歌い、踊る人達のことだ。

奥さんが日本人であるショッタノンドさんは、
毎年来日し、日本各地をまわり演奏旅行をしている。
今回の鴨川訪問は、去年に引き続き二度目である。

台風の影響で荒れた天気が予想されたが、
奇跡的に午前中は晴れ渡った。マーケットオープン
の11:00からは、半農半ジャーナリストの
「百一姓」さんが提供してくれた鴨川産の蜜ろうで、
キャンドルづくりのワークショップを行った。
これは、夕方行われるピースライブで灯すための
キャンドルだ。この日のために、安房マネーの
ネットワークに呼び掛けて集めたキャンドル用の
瓶がなんと丁度、仏教でいう煩悩の数の108
だったのだ。そして、そのピースライブで灯す火は、
ケンゴさんが持って来てくれた65年前に
広島へ投下された「原爆の残り火」なのだ。

「原爆の残り火」とは、原爆を投下された直後の
広島の街で、広島県の駐屯地にいた故山本達雄さん
が叔父の営む本屋のあった商店街にくすぶっていた
火をカイロに移して、福島県星野村の自宅に持ち帰り、
その火を仏壇やいろりに移し23年間も山本家で
保存し続けた火である。その火は、1968年に
「平和を祈る火」として正式に星野村へ受け継がれ、
村に建てられた「平和の塔」に移された。

山本さんは最初、原爆を落としたアメリカが憎くて
憎くてしょうがなく、その火は「憎しみの火」と
なっていたが、時間が経つにつれその火は
「平和を祈る火」にかわっていったそうだ。

ケンゴさんは、その火を受け継ぎ絶やさず燃やし続け、
毎年平和イベント「Be-in」を開催している。
そして蜜ろうを提供してくれた「百一姓」の
ヘジナウドさんは、日系ブラジル人で、おじいさんが
広島県出身だという。
だから、今日はどうしても来たかったのだと
ヘジナウドさんは、言っていた。そして、その
「原爆の残り火」についての語り部が、神奈川県の
藤野から来てくれた長屋の玄さんとミカエさんだ。

玄さんとミカエさんは、僕の知り合いのパーマ
カルチャリストの建築家山田さんが設計する
4世帯同居の里山コハウジング「里山長屋暮らし
藤野プロジェクト」のメンバーだ。
さらに、僕の共通の知人が数多く関わっている
藤野の地域通貨「よろず屋」と「トランジッション
タウン藤野」のメンバーでもある。
とにかくこの日集まった人、物、情報はことごとく
時空を超えてシンクロシニティーしていた。

午後から強い雨が降り出した。友人のやっちゃん
曰く、「原爆の火」だからしかたがないそうだ。
焼け死んだ人のたましいが水を求めているのだからと・・・。
しかし、ケンゴさんが前泊して直径9メートルの
キノコ型の巨大な番傘テントを建ててくれた
おかげでライブは最初、なんとかそのテント内で
やることが出来たが、夜までこのまま強い雨
降り続けるとPAが壊れる危険性があるので、
藤本敏夫記念館へPAを移し、ステージ会場を
移動した。
ステージは引き続き、記念館の2階で行われ、
「持たない暮らし」や「平和の灯をつなぐ」
をテーマに、ケンゴさん、長屋の玄さん、
ミカエさん、yaeさん、kittaさん、登紀子さん、
ショッタノンドさん、ホリ・ダシさん、と
たくさんの人とリレートークをした。話の内容は、
原子力発電から始まり、映画「ゲイト」、
老後の暮らし、平和イベント「Be-in」、
R水素エネルギー、原子爆弾、トランジッション
タウン運動、里山長屋コハウジング、非電化、
満州引き揚げ、敗戦体験、第2次世界大戦、
バウルという生き様等など多岐にわたった。

トークが終わり暗くなり始めた頃、雨も弱まり
だしたので午前中につくった蜜ろうキャンドルを
持ってみんなで外に出た。

大きな番傘テントの下に集まり、「原爆の残り火」
から次々と蜜ろうキャンドルに火を移していった。
そして、みんなで大きな輪になり足元にキャンドル
を置き、大きなピースマークを形作った。
すると、白い大きなテントの中は、柔らかい光に
つつまれ、美しい光の空間があらわれた。
ロウソクの優しく淡い光を見ると、ふとインドや
ネパールを旅した時のことを思い出した。
「わあー、きれい・・・」と誰かがため息を漏らす。
まわりを見ると、みんながみんな全員、幸せそうに
微笑んでいる。ざわめきが少しずつ静まって行く。
僕は、この光のなかで詩を読んだ。

あわのわコミュニティの住人たちとつくった
「虹の村のドリームマップ」を。

僕らは、ここを競争・分離・対立の古い文明から、
共生・統合・調和の新しい文明へと虹の橋をかける
「虹の村」と呼んでいる。
僕は、まずお礼を言った。この場を提供してくれた、
藤本敏夫さんに。そして、自家製蜜ろうを
提供してくれた「百一姓」のヘジナウドさんと
さとみさんに。原爆の火を持って来てくれた
ケンゴさんに。いつも「あわのわコミュニティー
カフェ&マーケット」を、一緒に創造してくれる
たましいの友人たちに。そして、ドリームマップを
まとめてくれた素晴らしいダンサーのエリに。
そのドリームマップを美しい詩にしてくれた
パートナーの菜穂に。そして、僕は読み始めた。

“ わたしは、「虹の村」に住んでいます。
この村に住む人は、年をとった人も、
生まれたての赤ちゃんも、子供たちも、
働き盛りのお父さんもお母さんも、
みんな健康でいきいきしています。

虹の村には、みんなで使えるものが
沢山あります。自然エネルギーで走る車や、
村の中を走るバス、農作業に使う道具や
大工道具、温泉や宿泊所などなど。

みんなが自由に使えるキッチンや食堂もあり、
私たちはよくここで一緒に料理をしたり、
できたものを一緒に食べたりすることも
あります。また、廃校を利用した
コミュニティセンターでは、オルタナティブ
教育が大人も子供も受けられます。

映画館や劇場の設備もあり、文化的に大切な
ことをお互いシェアできるようになっています。
私たちは、自由な発言や真実を語るメディア
として、独自のネットワークシステムを持って
います。これは、一般のメディアに属していな
いため、私たちが真実を知り、公正な判断を
する助けになっています。

虹の村の人たちはみんな、自分の食べるものは
自分で作っています。ここで採れた種は、
またこの地に播かれます。こうして毎年、
私たちの種は、受け継がれていきます。
そして、自分一人では作れない食べ物も、
自転車で行ける範囲ですべて手に入ります。

虹の村の人達は、みんなで一緒にやった方が
いい作業は、共同で行います。田んぼや
大きな畑をやったり、糸や布を作るときには、
みんなで集まってやります。単調な作業も、
おしゃべりしながらやっていると、
いつの間にか楽しい充実した時間に変わります。
私たちのいるところには、いつも笑い声が絶えません。

虹の村の人達は、家を建てたり、直したりする
のも、お互いに助け合って一緒にやります。
私たちは、ここにある資源を使って、家を
建てるようにします。
家が壊れる時また、この地に帰るように・・・。

虹の村の人達が、自然に寄り添った生活を
始めたら、川や海がきれいになってきました。
「ゴミ」と呼ばれるものも、なくなりました。
以前「ゴミ」と呼ばれていたものは、今は
大切な資源として使われています。また
私たちは、化石燃料原子力に頼らずに
生活しています。
地熱や小さな水力発電、太陽の光を利用した
温水器や発電機が各家庭にあります。
こういった新しい技術は、常にコミュニティ内
NPOが研究し、情報提供してくれているので、
私たちは、お金をかけず手作りで、自分の家に
設置することが出来ます。

そんな私たちの暮らしに共鳴してくれた都会の
人が、最近次々と移り住んで来るようになり
ました。虹の村の住人が増えるにつれて、
ますます棚田や果樹園や山が整備され、
美しい里山の風景がどんどん広がって行きます。
いろいろな特技を持った人が増えたため、
それぞれが出来ることを、お互いに提供
し合うことによって、コミュニティに
新しいビジネスが生まれて行きます。

私たちは、良く物々交換をします。
でも、物々交換だと不便な時には、地域通貨
使うこともあります。コミュニティの中で、
用が足りてしまうので、円はめったに使いません。

虹の村の人たちは、いつも自然界に感謝して
暮らしています。私たちは、これからもずっと、
地球が美しい青い星であり続けてほしいと
願っています。すべての生き物にとって、
この星が住み心地の良いところになるよう
手助けすることが、私たちに与えられた
使命だと感じています。

虹の村の人たちは、すべてはひとつ(ワンネス)
だと知っています。虹の村の人たちは、
今ここを生きています。虹の村の人たちは、
人生を楽しんでいます。虹の村の人たちは、
村人全員が農民であり芸術家です。
虹の村の人たちは、一人ひとりは自由でありながらも、
コミュニティとしての調和もとれています。
虹の村の人たちにとって、生きることは愛する
ことなのです。

今日は、虹の村のお祭りです。虹の村の人たちが
一堂に集まり、お互いに美味しいものを食べ、
遊び、歌い、踊る、1年で一番楽しみにしている
お祭りです。
そのお祭りは、「あわのわコミュニティカフェ&マーケット」。
そう、今ここにいる私たちが、虹の村の住人なのです。“
 
詩の朗読が終わると、さわくんの静かなギターの
音色が流れだした。クリスのネイティブフルートも
加わり、ゆっくりとエリも踊りだす。
ドラムも鳴りだし、次々と色んな楽器が増え、
みんな音に合わせ自然と踊りだした。

「場」のバイブレーションが同調している。
まるで、ひとつの生き物の様に。
光の輪の中で、いのちが響き合っている。
そして、宇宙と溶け合っている。
みんなのたましいが、笑っている。
キャンドルの柔らかな光に包まれ、
いつの間にか僕も無心になって踊っていた。
まるで、この宇宙にたった一人しか
存在しないかのように、自由に・・・。
その時僕は、永遠となり、宇宙となっていた。
そしてただ、いのちすることを喜んでいた。

「原爆の残り」火は65年後、鴨川の里山
歓びの光となって、たましいのダンスへと
昇華していった。 (林良樹)

吉田ケンゴさんのあわのわTalkの一部がこちらで観れます。
http://www.youtube.com/watch?v=cuEVUbM9o44