「あわのわコミュニティーカフェ&マーケットVol.5」

awanowa2008-10-13

10月13日月曜日体育の日、鴨川自然王国にて「あわのわコミュニティーカフェ&マーケットVol.5」は開催された。



 早朝どんよりと灰色の雲がたちこめ暗い空だったが、太陽光パネル藤本敏夫記念館の2Fのバルコニーに設置した頃には、南房総らしい明るい太陽が顔を出し素晴らしい秋晴れになった。(なんと予報は雨だったのに!)



今回の「あわのわ」は、「太陽電力」の青山貴氏をゲストにまねき彼らの活動であるソーラー発電で音響の電力を賄いミニFMラジオを放送するというでデモンストレーションを行うことが実現できた。

コミュニティカフェ&マーケットの出店者はいつもの様に安房に移住してきた半農半X達だ。陶芸家、養蜂家、草木染め、ジャーナリスト、サーファー、天然酵母パン、有機農家、林業、ヨガティーチャー、ミュージシャン等々…さながら半農半Xの見本市だ。



彼らのほとんどが地域通貨安房マネー」の会員であり、20代から60代までの多様な人々がゆるやかにつながっている。



ここにはグルもいなければ、何かの思想や宗教で結ばれている訳でもなく、それぞれが自由に独立し、自由なライフスタイルで、ただ自分らしく生きている。そんな人達が「信頼」するという意識でつながっている、新しいカタチの「意識のコミュニティー」なのだ。

お陰さまで多くの人々の協力により、今回も大盛況で里山の小さな集落は約250名もの来場者であふれかえりとてもにぎわった。

午前11:00からはじまった「FMあわのわ」の最初の番組は「テトラスクロール」のマオさんの「ラヂオフォニック オルタナティブ」だ。なつかしのパンク、ロック、レゲエ、ヒップホップ、クラブミュージック…とポップカルチャーをボーダレスに横断し、マオさんらしいスパイスがききつつもメローな選曲で、緑あふれるマーケット会場に気持ちの良い音楽が流れていった。

つづいては「玄米コージのジンゴロバ!! with ジョウセイマサコ」。玄米さんは言わずと知れた房総半島のジンベ(アフリカンドラム)カルチャーの伝道師。彼のルーツミュージックであるレゲエのナイヤビンギは、涙モノのシビレる選曲だった。ボブ・マーレイ&ウェイラーズの選曲も個人的には飛び上がるほどうれしかった。

そして木更津FMで活躍中のDJジョウセイマサコさんとのアフリカ話は、とても打ち合わせなしのぶっつけ本番とは思えないほど息が合い楽しく、玄米さんのエンターティナーとしての個性が光っていた。

そして「あわのわトーク」では、自然王国の住人であり半農半歌手であるYaeさんの登場だ。



トークゲストには「太陽電力」の青山貴氏をむかえ、スペシャルゲストには、加藤登紀子さん。

この3人のトークがまたオモシロかった。いわゆる「近代」の社会生活にはかかせないエネルギーである“電気”。これを軸に話は、縦横無尽に広がった。ライフスタイル、経済、観光、教育、農村、国際政治、軍事産業、G8、原発現代アート自然エネルギーと、スポンサーの無いコミュニティーFMだからこそのカゲキな発言もあり、みんな言いたい放題の痛快爆笑トークであった。



最後の「あわのわライブ」では、地元のアイリッシュバンド「ムジーク・ルーラ」and Yaeで大いに盛り上がった。

ボーカルYae、ギターSawa、フルート宮下昌也、バイオリン北島芳野、コンサルティーナ吉田奈緒子、ドラムス今井茂淑という構成だ。「ムジーク・ルーラ」とはエスペラント語で「田舎の音楽」を意味する。アコーディオンの原型であるコンサルティーナを演奏する吉田さんはエスペラント語講座を開いてくれた半農半翻訳者だ。哀愁のある素朴なアコースティックのメロディーとYaeさんの甘くトウメイ感のあるボイスが、のどかな秋晴れの里山風景に良く似合っていた。



アンコールはライブ会場であった藤本敏夫記念館を飛び出して、マーケット会場の真ん中で、来場者も出店者も出演者もみんなで手をつなぎ大きな輪になって笑いながら踊ったのである。

いや、その楽しかったこと!まさに「あわのわ」がぐるぐるとまわり、その喜びのスパイラルが外へと広がってゆくのをボクは見た。

 今回の「あわのわ」でボクは新しい時代の幕開けを確信した。「あわのわトーク」のラストに登紀子さんが歌ってくれた「檸檬」という曲は、故藤本敏夫氏とこの鴨川自然王国との想いを歌にした曲だ。故藤本敏夫氏が発言したメッセージ「エコファーマー」や「ウェルネスファーマー」は確実に時代を予言していた。

今、半農半Xと呼ばれる若い世代が続々と移り住み、今日こうして「あわのわ」にたくさんの人々が集まり、亡くなる前に彼がイメージしていたビジョンが現実のものとなりつつある。しかし、その藤本敏夫氏はもういない。「檸檬」を歌い終えた登紀子さんは、目に涙を浮かべボクと握手をしながら、「ありがとう、今日は。ああ、藤本が生きていたら…」と言って声をつまらせた。



房総に移住して来た半農半X世代であるボクらは、故藤本敏夫氏にお会いした事がない。だが、彼の蒔いた種が今こうして芽をだし育っているのだ。

藤本敏夫氏が亡くなった2年後、彼の友人がレモンの苗木を持って自然王国へおとずれた。登紀子さんはそのレモンの木を彼の記念樹として王国で大切に育てている。

4年前の2004年3月のことだ。その年は丁度ボクが登紀子さんと初めて出会った時でもあり、一緒に鴨川で「エコライフフェスタ」と「みどりの祭り」を開催した時でもあった。

そして、その同じレモンの苗木が縁あって我が家にも来て陽当たりの良い里山の南傾斜に植えられた。そのレモン木に今年とうとうたくさんの実がなったのだ。

レモンの木のみのりと、登紀子さんの歌う「檸檬」がボクのなかでシンクロし、60年代のスピリットが今、鴨川の農村でよみがえり、「あわのわ」というみのりをもたらしてくれた。

ボクらは、このみのりを収穫し、次の世代へと、さらに次の時代へと、新しい種を蒔くのだ。

そして、もっともっとステキな世界をつくろう。

自分達がこんなところに住みたいなって思う世界を、自分達でつくっていこう。

photo:飯田裕子